Into the Andes: A Father & Son Adventure
Photos by Luca and Tom Haines
南米にある最高と呼ばれるグラベルロードに沿った山々、文化、そしてバイクパッキングの旅
人生で一度はすべきこととして、スカイダイビング、イルカと泳ぐこと、万里の長城の散歩など、よく言われることは沢山ありますが、トム・ヘインズと16歳の息子ルカには違う夢があります。勇敢な2人は、南米を縦走するアンデス山脈を超えるグラベルサイクリングに挑戦しました。2人は数ヶ月以上にわたり計画を立て、準備やトレーニングを行いました。この旅のナビゲーターを務めたのは息子のルカでした。壮大な冒険、山でのキャンプ、文化的発見など、心温まるバイクストーリーを是非にご覧ください。
この旅が果たして成功したと言えるのかどうか、未だに確信がもてません。成功したというよりは、これに挑戦した、ということが驚きです。最初の日は荷物をいっぱいにした、ピカピカのバイクに乗り、パタゴニアの山の町バリローチェから出発しました。南にある青く大きな湖、ナウエルアピ湖を周り、北のシエテラゴスへ向かいました。2月初旬、アルゼンチンは夏真っ盛り。この日のために4ヶ月以上計画を立て、準備してきました。そして、街から続くグラベルロードに突入すると、彼らの40日に渡る冒険が始まったのです。
私たち2人はニューハンプシャー州に住むサイクリスト。息子はロードとシクロクロスの選手で、私はというと、50歳をむかえ体力維持がメインのサイクリストです。ここ数年一緒にバイクで走り、地元では数千キロにわたり走ってきました。しかしある日、今まで走ってきた道に何か“物足りなさ”を感じ始めていました。そんなとき、ジャーナリストからワイン醸造家に転職したアルゼンチン人の友人が、私たちを3月のブドウ収穫に誘ってくれました。スペイン語が堪能で、サイクリングが好きな16歳のルカは「バイクで行かない?」と提案。
南米のバイクパッキングはとても人気で、伝説のルートといわれるものが無数にあり、多くの場合1年以上をかけて走破する壮大なルートです。冒険を始めてから数週間後のことです。ポルトガル出身の男性とインドネシア出身の女性に出会いました。二人はコロンビアからアルゼンチンの南にあるウシュアイアに向かう全9ヶ月におよぶ旅の途中でした。その男性に、私たちの行き先を聞かれ、反対方向であることを伝えると、男性は一緒にいた女性に「この2人はたった40日間の旅だってさ」と嘲笑うように言いました。
私たちの旅は他人と比べると短いかも知れません。しかし、私たちにとってはとても壮大な特別な体験だったのです。出発前、ルカはバリローチェから峡谷と砂漠の町を通り、ガブリエルのぶどう畑までの約2,100キロのルートをGPSで結びました。旅の途中、アンデス山脈からチリに渡り、太平洋に少し寄ってから火山地帯を北上して、アルゼンチンに戻る計画を立てました。このルートには標高25,000メートルの山越えが含まれていました。ルカは、この旅は走るだけではなく異文化に触れることができた、と友人に話しました。
最初の朝は、バリローチェから出発。涼しい山の風が次第に暑くなり、賑やかな街と通勤する車の見える景色へと移り変わりました。私たちはその風景を見ながら湖の周り走り続けました。その時は、この旅が毎日どこで終わるのか、そして始まるのか。また旅の途中で誰に会うのかは知る由もありませんでした。朝から夜まで走ってキャンプ場や小さな町のモーテルに泊まり、また次の目的地に向かう。それが私たちの走り方でした。
家から遠く離れた国へ来た父と息子にとって、この旅は非常に深い意味がありました。ルカはナビゲーター兼通訳として国境警備員、店や宿屋の主人、牧場のオーナーと出会い、彼は人として成長していきました。私にできることは、ただ一緒にライドを楽しむことでした。
旅の最初はボストンからマイアミ、そしてブエノスアイレスからバリローチェまで飛行機で移動したため、時差による疲れがありました。その日はギアと自転車のチェック、そしてテストライドをしました。この日ルカはライド中に、ひどい日焼けをしたため、高校で勉強してきたスペイン語を使い薬局で薬を買いました。その時、アメリカに留学したことのあるバイクショップのオーナーに出会い、偶然にも彼は私たちの友人を知っていました。旅を始める前夜、彼のお店でバイクパーツと新しい友人に囲まれ美味しいビールで乾杯をしました。これ以上ない最高の旅の始まりでした。
バリローチェから1時間走り続けて、ナウエルウアピ湖の南から曲がり、森の東にある国道40号線を北上しました。私たちは2人ともハンドルバーバッグ、トップチューブバッグ、シートバッグを取りつけた‘ライトバイクパッキング’と呼ばれるスタイルで新しいトップストーンに乗っていました。バッグの中には救急箱、パーツ、電子機器、テント、寝袋、コンロ、バイク用の服や着替えを入れていました。川でも使える丈夫なウォーターポンプを持っていましたが、食料はワッフルとシロップ以外なにも持っていませんでした。
国道40号線はナウエルウアピに沿っており、長い登りや縫うような下り坂がありました。経験豊富なバイクパッキング慣れした友人から、筋肉や関節に負担がかかるので、最初の数日は無理せずゆっくりと走ればと良いとアドバイスを受けました。私たちは最初に現れたキャンプ場に泊まりました。お昼前、少し体を水で流し、服を洗って干してから、日があるうちにテントを立てました。そのあとは日陰でゆっくり体を休めました。このような毎日が続きました。
「最初の夕方、ここまですべてが予定通りにできた達成感と、この旅を続ける自信が湧いてきました。」
月曜日の午後は、キャンプ場に誰も来ませんでした。キャンプ場の主人であるフェルナンドは、小屋の冷蔵庫に冷たいキルネスビールをいっぱい入れていました。そして、その日の朝はチェーンソーで腐った木を切っていました。その夜は1日目が上手くいったため、勇気を持てました。ヒノキの丸太をキャンプファイヤーに入れるとパチパチと音がしはじめ、星いっぱいの夜空を見上げました。次の日から長い未知の旅が続くため、すぐに眠りにつきました。 次回へつづく